FUJII DAIMARU 150th ANNIVERSARY
藤井大丸は、2020年10月15日(木)
創業150周年を迎えることができました。
これもひとえに皆様方の
あたたかいお引き立ての賜物と
心より感謝申し上げます。
これからも皆様方に愛される藤井大丸として、
ライフスタイル全般にわたり、
ファッションの楽しさを発信してまいります。
引き続きご愛顧いただきますよう、
よろしくお願い申し上げます。
株式会社 藤井大丸
HISTORY藤井大丸150年の歴史とあゆみ
大津から京都へ
キクが呉服の行商をはじめる
10月15日創業。
キクが呉服の行商をはじめる。太助22歳、キク16歳。太助に反対されながらも、大津から逢坂山を越えて京の町で商品を仕入れ、また山を越えて大津や膳所の町へと売り歩いた。それから21年間、1日も休みなく行商に励んだ。
旧逢坂山隧道 当時は、狼も出たという淋しい坂道だった。
藤井大丸呉服店を開店
1月10日、藤井大丸呉服店を開店。京都の河原町通四条上ル米屋町東側に待望の店を構える。
明治24年頃の藤井大丸呉服店
あかがね御殿
当時は珍しい4階建ての新築を四条通に建てた。銅でふいた屋根が輝き、人々から「あかがね御殿」と呼ばれ、遠方から見物に来るほどの話題となった。
4階建ての「あかがね御殿」
四条通を藤井大丸で埋め尽くした
現在の藤井大丸の場所(四条通寺町角)に本店を移転。3階建てのレンガ造りの洋館を建設した。完成の2か月後、四条通に市営電車が開通し多くの人で賑わった。本店のほか、第一陳列場から第三陳列場まで構え、四条通を藤井大丸で埋め尽くした。
第二陳列場開店時のチラシ
洋館建ての本店と市電の線路
藤井大丸第一陳列場(東店)
本館西側に移築中の「あかがね御殿」
火事による全焼から
夢の百貨店開店へ
昭和9年に増築を開始したが、完成間近というところで火事になり全焼。しかし、この火事をきっかけに、キク達の夢であった百貨店経営へと切替えを決断。
建物は近代的な設備を取り入れ、4階建ての明るいフランス風の洋館へと変貌を遂げた。
昭和10年1月10日、81歳のキクが初代社長となり、藤井大丸呉服店は株式会社藤井大丸になった。そして同年4月1日、百貨店として開店。
フランス風洋館の完成
建設途中の藤井大丸
初代社長 藤井キク
2代目社長就任
開店後、呉服売場は連日大盛況となっていた。 キクが亡くなり、27歳の明が2代目の社長に就任。
2代目社長 藤井明
盛況の呉服売り場
当時は珍しい、人形に衣装を着せてショーウィンドーに飾った衣装陳列会
満州藤井大丸を創立
昭和14年、戦下の日本での営業拡大は望めず、新天地として満州へ進出した。
株式会社満州藤井大丸を創立し、昭和17年、軍人の家族や一般在留邦人、現地の人々を相手とする百貨店を開店した。
藤井大丸が満州に設立した「東満窯業株式会社」で絵付けをされる閑院若宮妃殿下
二条駅から満州へ軍需物資を発送
終戦後活気に湧く日本経済
戦争の混乱が収まり、日本経済は大きく進展してゆき、売場も活気をとりもどしていった。藤井大丸では、3階の一部を増築。翌年、貿易部を新設し、入社希望者があふれるほど殺到した。
人で溢れる祇園祭時の四条交差点
社員集会
百貨店開店20周年
百貨店開店20周年を迎える。当時の会長、正三が中国、ソ連をはじめとする東欧8か国の経済情勢を視察し見聞録を作成。
百貨店開店20周年を迎えた藤井大丸
当時の会長、藤井正三
大増築を経て現在の姿に
「京都にヤングの藤井大丸あり」
大増築(地下2階・地上8階建て)を行い、京都にヤングの藤井大丸ありとの声が大阪まで届く。
増築が完成した藤井大丸外観
増築完成70日前の告知ポスター
増築完成パーティー
関西初のマクドナルドがオープン
当時の売上世界記録を樹立
「マクドナルド」関西1号店が1Fにオープン。開店2日目には、当時のマクドナルドの売上世界記録を作る。1F正面玄関には、「語らいの泉」が誕生し、京都の新名所となる。コーナー展開した「VAN」、「JUN」などのアイビールックが、当時ビッグトレンドとなる。
1976年(昭和51年)久嗣が3代目社長に就任。
1Fマクドナルド 1989年撮影
コーナーバーゲン時の店内の賑わい
2F ホリデー・バーガー
正面玄関「語らいの泉」
3代目社長 藤井久嗣
百貨店開店50周年
ヤングフジイの設立
若い世代をターゲットにした「ヤングフジイ」を設立。また、ヤングのファン層を取り込むため、大学生限定で年会費を支払うと割引や催し物情報などをいち早く受け取れる「カレッジメイト」企画を開始。 4月1日に百貨店開店50周年を迎えた。
「ヤングフジイ」アドニスの店舗
セレクトショップを主軸にした
ラインアップで 事業転換
“感性発信百貨店”をスローガンに業態転換を図り、「UNITED ARROWS」や「ADAM ET ROPÉ」などのセレクトショップを主軸に、人気のインポート雑貨店「H.P.FRANCE Boutique」、高級靴の「JOHN LOBB」など、注目度の高いショップを数多く展開し、百貨店から“ファッション専門大店”へリニューアルする。以降、春と秋において、ショップの改廃を順次行い、関西初出店や話題のショップなどを多数ラインアップ、京都のファッショニスタに支持される藤井大丸へと進化を遂げていく。
リニューアルオープンのポスター
オープン当日、開店時の正面玄関
創業130周年
会社ホームページ開設
創業130周年を迎えた。
藤井大丸のホームページがスタート。若者に絞った内容で来店促進につなげることを狙いとした。
2009年 藤井大丸ホームページ
オンラインショップ
「UROKO」を開設
藤井大丸の通販サイトのオンラインショップ「UROKO」を開設。“最新ファッションをショップスタッフがスタイリングで提案”をコンセプトに、バーチャルとリアルの店舗連動型ファッションサイトをスタートさせる。
開設時のUROKOサイトページ
THE SPACE
FUJII DAIMARU
2Fに「THE SPACE FUJII DAIMARU(ザ スペース フジイダイマル)」をオープン。
「ファッション」、「カルチャー」、「フード」などさまざまな分野において、話題性のあるショップや時代の先をいく新進気鋭のブランドなどのイベントを定期的に開催し、藤井大丸として、お客様に提案する新しい情報発信の場をつくった。
2018年(平成30年)健志が4代目社長に就任。
第1回目の期間限定ショップ「GOLDWIN」
オープニングイベントの様子
フロアに刻印されたショップロゴ
創業150周年
1F・2F大幅リニューアル
創業150周年を迎える。 正面玄関入り口にフリースペースが誕生。京都初出店の「CITYSHOP」 や「Make up Kitchen」などを出店し、1F・2Fの店舗を大幅リニューアル。
正面玄関入口のフリースペース
京都初出店の「CITYSHOP」
京都初出店の「Make up Kitchen」
TOP INTERVIEW150周年記念 特別インタビュー
代表取締役社長 藤井健志
社長インタビューをご紹介します。
- 自己紹介をお願いします。また、あなたと藤井大丸の関係はどのようなものですか。
-
京都市で生まれ育ち同志社大学を卒業後、東京でソフトバンク、あずさ監査法人での勤務を経て、30代に家業である藤井大丸に入り社長になって3年目です。
創業者の藤井太助・キク夫妻が私の曽々祖父・祖母で玄孫にあたります。創業から同族経営を続けており、私で4代目です。
- 藤井大丸について教えてください。
-
創業者の藤井太助・キク夫妻が始めた呉服屋を祖業とし、1935年に四条寺町で百貨店として開業したお店が現在の藤井大丸です。その後、戦争や戦後の成長期を経て今の店舗になっていますが、どの時代でも比較的若くて新しいものを求めるお客さんに支持されてきたことが、結果的に京都の商業施設や店舗の中で差別化できたポイントだと思います。
より新しくおしゃれで個性的なものを求める方達に、ファッションを中心に京都で他にない商品やサービスを提供すること、新しい価値や楽しさを提供することが存在意義だと思っています。
- 創業150周年を迎えての心境を教えてください。
-
京都では200年以上続く老舗がたくさんありますし、長ければいいというわけでもないので年数自体が誇れるものとは思っていませんが、それだけの期間継続させていただいた京都という街やお客様、働く皆様、地域の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。200年、300年を迎えることができるように大切なものは継承し、変えるべきところは変えていく必要があります。古さが藤井大丸の価値ではないので、いつも新しい価値や楽しさを提供し続けることが必要と思います。
- 藤井大丸が150年間、長く営業を続けられた秘訣は何だと思いますか。
-
時代時代でしっかりとお客様、従業員、取引先等の求めるもの、京都に足りないものをしっかり掴んできたことと、新しいことにフットワーク軽く柔軟に取り組んできたことです。
また、伝統や文化が日常の中に息づきながら、常に新しい価値を取り込み深化する京都という街で事業を営んでこれたことも幸運だったと思います。
- これまでの藤井大丸の歴史で記憶に残っているエピソードについて教えてください。
-
直接見聞きしたことではないですが、様々な方のお話の中で印象的なのは戦中の満州での商売の話と、70年代の事業・店舗運営の話ですかね。 戦中の話は祖父やその兄弟から聞いた話ですが、太平洋戦争真っ只中の1940年代前半は国内は統制経済下でしたので、商売の中心は満州でした。従軍しながら、駐屯先の兵士やその家族の方々に対する商売をしていたのですが、結果的に戦争に負け、命からがら散り散りに日本に帰ってきました。京都は焼け野原になるのは免れていましたが、その後しばらく、店も家もGHQに接収されました。その後、こつこつと商売を積み上げ1960年代の数度の増床を経て今の店舗規模になり、70年代に当時の若い方達を虜にしたジュン、ヴァンやマクドナルドといったお店を展開していた頃のお話は、当時を知る世代の方達からよく伺うので印象に残っています。
今の若い、新しもの好きな人達に支持される藤井大丸のベースが構築された時期だと思います。まさに命がけで商売していた祖父の世代の方々が戦後の日本、京都のなかでたくましく商売を継続・発展させてくれたおかげで今の藤井大丸があり、150年の中で最も重要な時期だったのではないかと思います。
- 藤井大丸の好きなところを教えてください。
-
自画自賛になってしまいますが、京都や関西で他にない商品のセレクト、時代の半歩先を行く挑戦的な商品や店舗に積極的に挑戦していることと、こだわりの強い社員、販売員が多く、それぞれが商品やサービスに誇りを持って働いてくれていることですかね。
あとは、館内の店舗を見て回るのに疲れないちょうどいいお店のサイズ感で、コンパクトな京都の街で商業から自然、歴史までそろっている四条通りに立地していることです。
- 今後の藤井大丸の目標を教えてください。
-
創業から受け継がれているより良い商品と、より良いお客さんの結びつきをしっかり深めていきながら、京都の街に新しい価値の組み合わせを提供し続けるユニークな存在であることです。
量的成長を追求していく時代はすでに終わっているので、価値ある商品、サービス、環境を通じて繋がりを深めていく、また、コロナ禍でより強く感じていることですが人間性を深めていくことが重要だと思います。
過度な情報に溺れて小難しく考えず、もっと感覚的に本能的にシンプルな幸せを追求する。着たい、持ちたい、食べたい、誰かの役に立ちたい、愛されたいといったシンプルな欲求にしっかりと応えていくことですね。
- 50年後(創業200周年)の藤井大丸はどうなっていると思いますか。
-
京都で愛される存在であり続けているはずです。 京都も四条界隈も今よりさらに多くの国・地域・思想・嗜好の方々と地元京都の方がクロスする街、通りになっていると思います。街の魅力や賑わいに貢献し続ける、リアルに商品やサービスの素晴らしさや空気感を感じるお店の一つとして個性を発揮していたいです。
オンラインや既存のリアル店舗以外の事業も色々と展開しているはずなので楽しみにしていただければ。
いつも新たな刺激や楽しさを求める人達にあてにされる藤井大丸であり続けていると思います。